東京地方裁判所 昭和30年(モ)12581号 判決 1956年5月18日
債権者 ミユーチエアル・トラスト・カンパニー
債務者 ジヨーセフ・エドワード・モンタルト
主文
当裁判所が、昭和二十八年(ヨ)第四、八四二号不動産仮処分申請事件について、同年七月十日した仮処分決定は、取り消す。
本件仮処分申請は、却下する。
訴訟費用は、債権者の負担とする。
この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一債権者の主張
(申立)
債権者訴訟代理人は、主文第一項掲記の仮処分決定を認可するとの判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。
(理由)
債権者は、昭和二十四年四月別紙<省略>目録第一記載の事務室(以下本件事務室という。)を、債権者の東京事務所の事務室にあてる目的で、その所有者富国生命保険相互会社から借り受け、その頃、日本における債権者の事業に必要な電話、家具、什器その他の事務用設備とともに、別紙目録第二記載の動産(以下本件動産という。)を債権者の費用で、本件事務室に備えつけ、今日に至つた。
しかして、本件事務室は、債権者の東京事務所における支配人である債務者が、債権者のために、債権者の名において、右富国生命保険相互会社から借りうけたものであり、債権者は、現に、その賃借人である。すなわち、債権者は、昭和二十三年八月、債務者を雇い入れて日本に派遣し、従来債権者が日本の商社としてきた取引を発展させてゆく見込があるかどうかを調査させ、もし、その見込が十分である場合は、東京に、債権者の東京事務所を設け、債務者をその代表者(支配人)とすることとした。債務者は、翌九月、債権者の東京事務所における代表者という資格で、日本入国の許可をうけ、債権者の支給した旅費で渡日し、日本における市場調査をし、その有望であることを債権者に報告してきたので、債権者は、債務者を債権者の東京事務所における支配人に任命するとともに、爾来毎月英貨二百十ポンドを生活費、交通費、東京事務所の一切の費用として支給するほか、債権者が日本人に輸入する商品の取引から生ずる純益の二十五パーセント、債権者が日本で売却する鉄鉱石の売価の二パーセント及び日本から輸出する商品の買入価格の二パーセントに当る手数料を債務者に支払つてきた。債務者は、債権者との間の前記雇傭契約に基く当然の義務として、当初、東京ホテルの一室を債権者の東京事務所として借り入れ、使用人を雇い入れるなどして、業務に従事していたが、その後、前記のように、本件事務所を借り入れ、債権者の東京事務所の事務室として使用してきた。もともと、本件事務室は、富国ビルが接収解除となつた直後、当時日本国内において取引の実績のある外国商社に限つてこれを賃貸する方針で、総司令部係官が賃借人を選定した際、債務者が債権者の名において担当係官に賃借を申し入れて借りうけたものであり、債務者は、当時、来日後日も浅く、また、債権者の東京における支配人として債権者のためにする仕事のほか、何の仕事も連絡もなかつたのであるから、債務者が、このような事務室をみずから賃借する必要も、また資格もなかつたのである。
これらの状態からいつても、債務者は債権者の支配人として本件事務室を借りうけたものであることは明らかであるが、仮に、そうでなかつとしても、債務者は、当時他の一切の取引についてそうであつたように、債権者のために債権者に代つて、本件事務室を借りうけ、その旨の賃貸借契約を結んだものである。
しかるに、その後、債務者は、債権者との契約の履行に甚だしく誠意を欠き、取引の値段をごまかして不当な手数料を取るような行為があつたばかりでなく、債権者の知らない間に、本件事務室の賃借人名義も債権者から債務者に変更した。しかし、これは、あくまで、当初そうしたように債権者の名においてすることを省略して、形式的には債務者の個人名義による賃貸借契約を結んだような契約書を作成しただけのことであり、実質上の賃借人は、当初の契約書のとおり、債権者にほかならない。
債権者は、最近に至り、債務者の前記のような不正行為を知つたので、さきに債務者に与えた債権者の代理人として事業をする権限の委任を解除し、関係書類及び財産の一切を債権者に引き渡すよう請求するとともに、本件事務室を、現状のまま、債権者に明け渡すよう求めたが、債務者は、これに応じないばかりでなく、かえつて本件事務室の賃借名義が債務となつているを幸いに、他人に賃借権を譲渡しようとしている。
よつて、債権者は、所有権に基く本件動産の引渡請求権並びに債権者の富国生命保険相互会社に対する賃借権を保全するため、所有者である右会社に代位してする本件事務室の明渡請求権の執行保全のため、東京地方裁判所に対し、いわゆる占有移転禁止の仮処分を申請し(同庁昭和二十八年(ヨ)第四、八四二号事件)、昭和二十八年七月十日、右申請を認容する趣旨の仮処分決定を得たが、右決定は相当であり、いまなお、これを維持する必要があるから、その認可を求める。
第二債務者の主張
(申立)
債務者訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。
(理由)
債権者の主張する事実のうち、債務者が債権者の代表者と称するユー・ウイン・カムと契約を結び、手数料を得て、債権者の日本において行う事業の代理又は媒介をしていたこと並びに債務者が本件事務所及び本件動産のうちデスク・タイプライターを除くその余を占有使用していることは、認めるが、その他はすべて争う。
本件事務室は、当初から、債務者が自己の名において賃借したのであり、債権者は、その賃借人ではない。また、本件事務室における備品は、全部債務者がその負担において購入して備えつけたもので、一つとして債権者の所有に属するものはない。もつとも、右備品のうち、債権者が本件で引渡請求権ありと主張するフアイリングキャビネツト二個は、同じくデスク・タイプライターとともに、債権者から贈与を受けたものであり、右デスク・タイプライターは使用にたえなくなつたので処分してしまい、現在債務者の手許にはない。かようなわけで、本件動産で現在債権者が占有しているものはすべて債務者のものであり、債権者の所有に属するものではない。
本来、債務者は独立の商人であり、債権者との間に、その主張するような雇傭関係は、過去現在を通じ、存在しない。債務者は、債権者代表者との契約により、債権者の日本における輸出入取引の代理又は媒介をし、これに対する報酬手数料を得ることとしたにすぎない。この契約は、昭和二十四年一月から昭和二十八年七月三日まで存続したが、これによれば、債務者は債権者から利益の分配にあずかるだけで、債権者に利益のないときは、何らの報酬は得られず、現に、債務者は、香港において、計算の結果損失となつているという理由で、債権者から前渡金の返還を請求されているほどで、雇傭契約の欠くことのできない要件である労務に対する報酬といわれる性質のものはうけていない。
債権者と債務者の関係は、以上のようなものであつたから、債務者は、本件事務室の借入れについて債権者から一度も指示や依頼をうけたこともないし、その賃料、維持費または使用人の給料などの仕送りもうけたこともない。
第三疏明関係<省略>
理由
まず、本件における被保全権利の存否、すなわち、債権者がその主張するように、本件事務室について賃借権を、本件動産について所有権を、それぞれ、もつているかどうかについて考察するに、本件における疏明関係のもとにおいては、債権者がその主張するような賃借権または所有権をもつていることは、結局、これを肯認することはできない。したがつて、債権者がこのような権利をもつていることを前提とする本件仮処分申請は、すでに、この点において理由がないことになるから、これを却下するほかはない。
以下、その理由を、つまびらかにする。
債権者が本件において提出援用する各疏明資料を綜合すると、昭和二十五年四月、債務者が本件事務室を借り入れる当時、債務者は、債権者と雇傭関係にあり、その東京事務所の代表者(支配人)であつたこと、右事務室の賃料その他の維持費、使用人の給料等はすべて債権者が支出負担していたものであること、したがつて、債務者が本件事務室を借り入れたのは、債権者の主張するように、債権者の支配人として、あるいは、その資格を離れて債権者のために借り入れたのであり、その備品である本件動産は債権者の所有に属するものであることが認められるかに見えるが、右疏明資料を債務者の提出援用するこれと比較検討すると、証人鎮目五郎(第一回)、柴田正雄(第一、二回)及び債権者代表者ユー・イン・カム(第一回から第三回)の各供述中右に照応する部分は、証人鎮目五郎(第二回)及び債務者本人(第一、二回)の各供述に照らし、たやすく措信し難く右甲各号証の記載だけでは、債務者が当時債権者の東京事務所における支配人として雇われており、債権者のために、あるいは、他の取引におけるように、債権者に代り、本件事務室を賃借したこと、したがつてまた、本件動産が債権者の所有に属することを肯認することはできない。(右動産中デスク・タイプライター二個については、その存在の疏明もない。)もつとも、原本の存在及びその成立について当事者間に争いのない甲第三号証(債権者代表者あて債務者の手紙の写)によれば、債務者は債権者にあてた書信において、「東京事務所の件」について「われわれのために全く申し分のない場所(Very good Premisesfor us)」とか、「あなたの東京事務所の費用(Your Tokyo office expense )」という表現で、本件事務室を呼び、その借入れを債権者に報告していることが認められるが、これらの、一見、本件事務室が債権者の借り入れた事務室であるかにとられそうな表現も、右甲第三号証、成立に争いのない乙第四号証及び本件口頭弁論の全趣旨により窺うことができる当時債務者及び債権者代表者は極めて親密の間柄にあり、いわゆる東京事務所を中心として両者協力して別個の会社を組織して共同の事業を営まうとする計画もあつたことを考え合せると、必ずしも、本件事務室を債権者のため借り入れた事実を裏書するものとは、いい難い(このことは、前記甲第三号証において債務者は「東京事務所経営の絶対必要額の足りない分及び私の生活費並びに接待費(会社及び個人のため)は、私自身の資金でまかなわねばならぬが、それが最善の方法である」旨述べていることからも窺うことができる。)
また、成立に争いのない甲第二十二号証(貸室契約書)によれば、本件事務室の最初の契約書草稿には、借主を債権者と表示してタイプ印刷されており、その上部に、ペンで「シエイ・モンタルト・ケヤーオブ」と書き込まれていることが認められるが、右甲号証と証人鎮目五郎の証言(第一、二回)を綜合すると、本件事務室は、富国ビルにおける他の室ととも、外商専用の事務室とすべく、総司令部の選定した借主に限り賃貸することとなつていたものであるが、貸主である富国生命保険相互会社は、総司令部からの連絡に基き、本件事務室の借主を債権者として契約書案文をタイプ印刷して事実上その衝に当つた債務者に交付したところ、直ちに、借主は債務者であるから訂正するようにとの申入れとともに、前記のようにペン書部分を加えて送り返してきたものであることが認められるから、右甲第二十二号証の記載だけで、債権者が、その主張するように、本件事務室の借主であると見ることはできない。
また、成立に争いのない甲第四号証、同第十八号証、同第十九号証の一から四及び証人鎮目五郎の証言(第一回)によると、債務者は、債権者と日本商社との取引に関する文書において、債権者の支配人(mandger )として署名していること、本件事務室の入口ドアーには、当初、債務者の名のほかに、債権者名が表示してあつたこと、富国ビル入口の事務室案内板及び日本タイムスの発行の電話帳には、本件事務室が債権者の事務所であるかの表示又は記載のしてあつたことが認められるが、これらの事実も、債務者本人の供述(第二回)により認め得べき債務者は日本商社と債務者の取引をあつ施したのちは、専ら債権者と相手方の直接契約という形態で取引を進めてきていた事実と合せ考えると、債務者本人(第一回)の供述するように、主として事業活動の便宜に出たに過ぎないと認めるのが、むしろ妥当であると考えられるから、これらのことだけ、債権者の主張を肯定することはできない。
そのほか、甲第四号証から第十六号証、同第二十三、第二十四号証によれば、債務者は、当初来日するに当り、債権者の援助をうけ、その後日本商社との取引について債権者と緊密な連絡を保つて、しばしば指示を乞い、また、債権者から送金をうけていた事実を認めることができるが、債務者本人の供述(第一、二回)によつて認め得るように、債務者は最近に至り債権者と紛議を生ずるまでは、日本における唯一の債権者の事業に対する協力者として誠実に取引のあつ施をしてきた事実から見れば、債務者が債権者と日本商社との取引について緊密な連絡を保ち、債権者の意向を尊重してきたことは、媒介又は代理をするものとして、むしろ当然の措置であり、このことから、逆に債権者が債務者の使用人の地位にあつたということはできないし、債権者からうけた送金なるものも、成立に争いのない乙第二号証の一から四によれば、債務者があつ施した取引の利益分配金(前払)または、日本における債務者の生活費、交通費その他の雑費であり、通常給与と呼ばれているところの雇傭関係における労務の対価とは、およそ性質を異にするものであると認められる。そのほか、甲第二号証及び第十七号証の各一、二、同第二十号証は、いずれも、本件当事者間に紛議を生じたのち、債権者側において、専らその主観を基礎として、作成したものであるから、これをもつて、直ちに、債権者の主張事実の存在を客観的に疏明する資料とすることはできないし、他に、債務者の疏明を排斥して債権者の主張事実を認めるに足る適確な疏明は存在しない。
以上詳説したとおり、本件における疏明関係のもとにおいては、被保全権利の存在に関する債権者の主張を肯認することはできないから、債権者の本件仮処分申請は、すでに、この点に関する疏明を欠くものとして、保全の必要性について(この点についても、必ずしも疏明ありとはいえないが、)判断するまでもなく、却下するほかはない。あるいは、本件は、いわゆる占有移転禁止を命ずるものに過ぎないから、保証をもつて疏明に代えるを適当とするという見解もあり得るかも知れないが、債務者が、とくに信用と名誉とを大事にしなければならない外国商であり、日本の法律による保全処分の執行とその継続という事実が一般に保全処分の執行が往々にして、そうであるように、その処分の内容にかかわらず、債務者の信用その他に対する重大な悪影響をもち、しかも、一旦失われた信用は、容易に回復し難く、ひいては、致命的有形無形の損害にまで発展することがないといえないものであることを考えるならば、本件において、とくに、その被保全権利の疏明について、保証をもつて、これに代えることは、いかなる意味合においても、適当とすることはできない。
よつて、債権者の申請を認容してした主文第一項掲記の仮処分決定は取り消し、債権者の本件仮処分申請は却下することとする。
なお、本件記録によれば、主文第一項掲記の仮処分決定には裁判官秦不二雄の名下の捺印を欠いており、右決定については適法な決定原本が作成されなかつた違法があることとなるので、右決定書は、この点においても、取消を免かれないと考えられるが、本件においては、実体上の理由により、これを取り消すべきものであること前段説示のとおりであるから、主文において、とくに改めて取消の裁判をしないこととする。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十五条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を、それぞれ、適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅正男 栗山忍 宮田静江)